中年不安

適当に生きてきた結果がこれだよ

IT時代 その2

以前書いたIT時代の続きなので、以前の記事をまだ読んでない方はこちらからどうぞ。

 

ojisan-loneliness.hatenablog.jp

 

IT企業への就職

WEB関係の仕事につくため専門学校を卒業後、無事IT企業へと就職したのだがデザインの大学を出ている人間が同期で2人もいたため、WEBデザイナーになることはできず、課題に出されていたC言語の課題がまぁまぁ良かったためシステムエンジニアとしてソフトウェア開発部へ配属された。
こうして俺はシステムエンジニアとしての一歩を踏み出したのである。

はじめての出向

数ヶ月の社内研修を終えると、他社へと出向することになった。
出向とは聞こえはいいが、要するに他社への派遣である。(通常の派遣とは多少待遇は違う)

派遣先は新人だったこともあり、1年目の派遣先はどれも、同期の人間と先輩を含めた複数人で派遣され、仕事内容もそれほど難しくもなく楽しく仕事を行うことができてほとんど不満はなかったのだが、2年目の春頃からだったか突然やってきた不景気のアオリを受けて俺の居た会社は仕事を見つける事ができずに業績が傾いてしまい、俺は現場から返され自宅待機を命ぜられた。

自宅待機から退職を決意

自宅待機とは文字通り社内に居ても仕事がないために出社せずに自宅で、会社から出される課題をレポート形式で提出するような毎日を2ヶ月ほど送っていた。
自宅に居るだけで、禄に仕事をせずに金がもらえるならうらまやしいと思う人間もいるかも知れないが、もちろん会社として利益が出るわけではないので、給料が半額以下に抑えられ、アルバイトも禁止なので当時、貯蓄もなかったため生活するのが難しくなった。
もちろん隠れてアルバイト等を考えられるが、そもそもいつ自宅待機が終わるかもわからないので短期とはいえバイトを探しにくかった。
当時はまだアフィリエイトなどブロクで稼ぐ方法は一般的ではなく、上記のように副業を探すのも難しかったため、俺は悩んだ末に退職をすることを決意した。

不景気での転職活動

いざ、退職したものの当時はまだIT業界は今のような人材不足の状態ではなく、むしろ人材が余っていたような状態だったので、1年ほどの経験しかなくそれほど実力もないシステムエンジニアが仕事を探しても当然なかなかありつけることなく、半年ほど無職の期間が続いた。
そしてついに、数十社近く受けた結果、とある会社に雇われるとことなったのである。

 

その3へ続く

 

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